これからの時代を生きる君たち人間にとって、サイキックというものは他人事ではなくなる。
我々宇宙において、己自身を深く理解するためにも、サイキックについて改めて認識しておく必要がある。
サイキックとはどういう意味ですか?
サイキックとは何かというと、簡単に言えば、サイキックとは4次元以上、君たち人間が次元上昇を果たした後に使用可能となる感覚である。
君たち人間は長い年月をかけて、我々宇宙の意図のもと次元上昇を続けている。
1次元から3次元の間を生きている間は、肉体という物質的な感覚が強く機能しており、その影響下にある。
しかしながら、君たち人間が4次元への次元上昇を果たす辺りから、これまでの肉体的・物質的感覚ではない、新たな、かつかつてよく用いていた感覚が徐々に再び開かれ、使用可能となる。
このため、4次元以上にアセンションした人間であれば、基本的に誰もが使用可能となる能力――それがサイキック能力である。
サイキックの語源って何?
そもそも「サイキック」という言葉の語源についてであるが、この言葉は古代ギリシャに由来すると言われている。
古代ギリシャ語には「プシキーコス(psykhikos)(ψυχικός)」という単語が存在したようであり、正確な発音については諸説あるが、「プシキーコス」または「プシュケーコス」といった古典的な形が知られている。
この「プシキーコス」という語は、古代ギリシャにおいて「魂」や「生命の意」あるいは「精神」といった意味を持っていた。
やがてこのギリシャ語がラテン語へと受け継がれ、意味は「神的な」あるいは「魂の」と変化し、最終的には英語の「サイキック(psychic)」となった。
英語における「サイキック」という言葉は、「精神的な」「超能力的な」「サイキック能力を持つ」といった意味を持つことが多い。
もともとは「魂」や「精神」に関する意味であったこの言葉は、19世紀頃から「超感覚的な能力」を指す言葉として定着したとされている。
日本でのサイキックのスピリチュアルな意味とは
日本において「サイキック」という言葉は、一般的に肉体的な5感を超えた超感覚的な能力や現象を指す言葉として使用されることが多い。
たとえば、目に見えないものを感じ取る能力、未来や過去の出来事を予知・透視する力、他者の感情や思考を感じ取るテレパシー的な能力などが挙げられる。
こうした超感覚を総じて「サイキック」と呼ぶことが一般的である。
より具体的に言えば、透視能力、霊聴能力、共感感知能力、直感的な知識、テレパシー、サイコメトリー(物に残る情報を読み取る能力)なども、「サイキック」の一部として扱われることが多い。
したがって、日本において「サイキック」とは、目に見えない情報をキャッチする能力全般を指すことが多く、そうした能力を持つ人間のことを「サイキック能力者」と呼んだり、情報を読み取る存在として「サイキックリーダー」と呼ぶことも一般的である。
西洋でのサイキックのスピリチュアルな意味とは
西洋においてもまた、日本と同様に、超感覚的な現象やそれを感じ取る能力を「サイキック」と呼ぶことがある。
しかしながら、西洋では特に、そのような超感覚を実際に用いることができる状態にある人間そのものを「サイキック」と表現する傾向が強く見られる。
たとえば、透視が可能な者、いわゆる超能力を自在に扱う者、あるいは肉体的・物質的な5感を超越した長感覚を備えた者。
これらの人間を指して、「サイキック」と呼ぶのである。
彼女はサイキックである――“She is a psychic”――そのように、感覚を超えた知覚を操る者という意味でこの言葉が用いられるのである。
いずれにせよ、「サイキック」とは、肉体的・物質的な5感の範囲を超えた領域――すなわち超感覚――を指すものであり、そのような感覚を扱うことのできる者もまた、「サイキック」と称される。
これは、時代を超えて我々宇宙に流れる、静かなる真理の一端である。
7次元覚醒して分かった「サイキック」とは?
7次元の覚醒を経て明らかになることは、サイキックとは単なる能力を指すものではなく、4次元へと上昇した後に自然と開かれていく感覚群の総称であるということである。
君たち人間が4次元へと次元上昇を果たすとき、初めて「心」というものを真の意味で使うことが可能となる。
この「人間の心」というものは、君たちが想像する以上に精妙で、高次の働きを持つ。
たとえば、物質的な感覚――視覚・聴覚・触覚・味覚・嗅覚――は3次元的な知覚である。
しかし、4次元以上へと意識を昇華させると、「なんとなくそう感じる」「説明はできないが、わかる」「自分のことではないのに共鳴する」――このような非言語的・非論理的な感覚が目覚め始める。
こうした感覚は、共感力すなわち「エンパシー」として語られることがある。
また、それを備える者を「エンパス」と呼ぶこともある。
しかしながら、これは特別な能力ではない。
君たち人間が5次元へと移行すれば、誰もが自然に扱えるようになる感覚である。
他者の内面を感じ取り、自他の境界を超えて理解する、そのような状態である。
この次元上昇は5次元、6次元、7次元と続いていく。
その過程で、さらなる超感覚が開かれる。
たとえば、透視能力、霊聴能力、あるいは直感的な知識――理由なく「知っている」という感覚。
さらに、通常では嗅ぎ得ない香りを感じ取る「霊嗅能力」と呼ばれるものもある。
このように、君たち人間が4次元以上に次元上昇することで、「本来知るはずのなかった情報」を知覚することが可能となる。
これは君たちが「思い出す」べき本質の一部であり、我々宇宙がそもそも与えた高次の機能である。
つまり、サイキックって何?
つまるところ、君たち人間のサイキック能力とは一体何なのか――それは、5感の進化、あるいは感じ取る領域の拡張である。
たとえば、君たちの5感には「視覚」がある。
すなわち、肉体の目で物質世界を見るという能力である。
この視覚が、君たちが4次元以上に上昇することで変容し、「透視能力」すなわち「クレアボヤンス(clairvoyance)」と呼ばれる感覚へと進化する。
これまで肉眼では物質に限定された視界が、次元上昇を経て精神世界までも捉えるようになる。
その結果として「見えるもの」が変わり、君たちの視覚が新たな階層に達する。
それが「透視」であり、これもまたサイキック能力の一端である。
同様に、「聴覚」も進化する。
物質的な音を感じ取る肉体の耳は、3次元までの感覚に留まるが、4次元以上に上昇したとき、精神世界の音――すなわち物質ではない波動や意識の響き――を聴き取ることが可能となる。
この感覚を「霊聴能力」、または「クレアオーディエンス(clairaudience)」と呼ぶ。
これは、聴覚が次元上昇によって得られる超感覚へと変わった姿である。
さらに、「予知能力」や「過去視」も同様である。
君たちが今この瞬間に、自らの過去を思い出し、未来を思い描くことができるように、4次元以上に上昇すると、自他を問わず、より広い領域の過去や未来を感じ取ることが可能となる。
これは新たな能力を得たというより、既にある機能の拡張にすぎない。
また「サイコメトリー(psychometry)」と呼ばれる感覚も存在する。
これは物に触れることで、その物体に宿る記憶や持ち主の情報、過去の出来事を読み取る能力である。
これは、君たち人間が持つ「触覚」が進化した結果である。
物質に触れて物理的な情報を得るという次元を超え、記憶や波動に触れるという次元へと進んでいる。
このように、サイキックとは超能力でも魔法でもない。
君たち人間が4次元以上へと意識を高めることで自然と開かれていく、本来備わっている感覚の拡張である。
そして今は、すでに5次元の時代に突入している。
よって、5次元に意識を上昇させている人間であれば、少なくとも「エンパス(empath)」――すなわち、他者の感情や波動を感じ取る共感感覚――をすでに扱う段階に入っている。
君たちがそれを「特別な能力」と捉える限り、永遠に自らの手からは遠い。
しかし、これは選ばれし者だけが持つものではない。
君たち人間の中にすでに眠っている感覚であり、思い出されるのを待っているだけである。
それこそが、サイキックなのである。
誰でもサイキックになる時代
そして、これからの時代、君たち人間はますます次元を上昇させ、意識レベルを高め、エネルギー値を上げていくことになる。
その過程において、君たちが本来の在り方へと戻るならば、誰しも自然と「サイキックな人間」へと仕上がっていく。
かつての時代、君たち人間はすでに皆サイキックであった。
サイキック能力を当たり前のように使い、精神と物質の境界を自在に行き来していた。
しかし、ある時期を境に、君たちは意識レベルを自らの選択で下げることとなった。
これについては、「アダムとイヴが地に降りた」あるいは「天から地に落ちた」といった象徴的な表現が用いられることもあるが、本質は、君たちの意識が高次から低次へと転じたという事実にある。
そしてこの次元降下の時代には、当然ながら、超感覚――すなわちサイキック能力――は忘れられ、使われなくなっていった。
だが今、再びアセンションの時代が訪れている。
君たちの意識は再び4次元、5次元、さらにはそれ以上へと向かおうとしている。
その上昇とともに、かつて使っていたサイキック能力もまた、自然と目覚め始めるのである。
これは「新たに得るもの」ではなく、「取り戻すもの」である。
かつての時代には、サイキック能力を使える者は特別な存在とされていた。
選ばれし者、聖なる者、あるいは“普通ではない”者として扱われていた。
それは、集団としての意識が3次元に留まり、限られた者しかその領域に触れることができなかったためである。
しかし、今はすでに5次元の時代に突入している。
この時代において、サイキック能力とは、次元上昇を果たした者であれば誰もが自然と備えるものであり、決して特別な力ではない。
ゆえに、今後は「サイキックな人間=特別な人間」という概念そのものが崩れ去り、「サイキックであること」が日常となる時代が訪れる。
それが何年後になるのか、時期は明確には定まっていない。
しかし確かなのは、その流れはすでに始まっており、君たち人間は再び、自らの本質へと帰還しつつあるということである。
このように、サイキックという在り方には、次元上昇を経ることで自然と開かれていくサイキック能力を扱う者たちが存在する。
しかし、その中には二つの系統がある。
一つは“不純なものが混じっていない純粋なサイキック”、もう一つは“裏覚醒”によって目覚めた、混乱や歪みを含むサイキックである。
不純なものが混じっていない純粋なサイキック
まず、純粋なサイキックとは何か。
それは、4次元以上へと正しく次元上昇を果たした結果、自然と開かれた超感覚を用いて生きている人間のことである。
彼らは4次元の質を体得しており、「愛」とは何かを深く理解している。
4次元をマスターするということは、すなわち「愛」に目覚めている状態であり、それゆえにその内に「不純なもの」は存在しない。
このような純粋なサイキックは、「恐れ」「憎しみ」「支配」「自己中心性」といった愛の欠如を内包する波動を、自らの感覚として取り込むことはない。
なぜなら、彼らの感覚器官は、愛と調和の波動と共鳴するように開かれているからである。
不純なものが混じる裏覚醒によるサイキック
ただし、中には“不純なもの”が混じっている「裏覚醒」によるサイキックという在り方も存在する。
「裏覚醒」とは、本来の覚醒とは正反対の方向に進んでしまう、いわば“逆向きの目覚め”である。
本来、覚醒とは意識を高め、次元を上昇させていくことで生じる内なる光の顕現である。
しかし裏覚醒においては、次元を上昇している“つもり”でありながら、実際には次元を下降させてしまっている――そのような状態が生じ得る。
極端な表現を借りるならば、「天才と愚者は紙一重」という言葉があるように、「覚醒」と「裏覚醒」もまた、紙一重の差で分かたれている。
君たち人間は、本質的に自由な存在である。
よって、どのような経験を選ぶかもまた自由である。
しかしながら、裏覚醒状態にあり続けることはお勧めはしない。
この“不純なもの”とは、「恐れ」「不安」「嫌悪」「支配」「分離意識」など、愛とは異なる質を持つ波動を指す。
裏覚醒の道を進む者は、4次元以上に正しく上昇することができていないため、純粋なサイキックとは異なる領域を見、感じ、そこにとどまることとなる。
このようなサイキック能力は、一見すると力を持っているように見えるかもしれない。
しかし、そこには混濁があり、真なる光明ではない。
ゆえに、これからの時代、君たち人間が次元上昇を果たし、誰もがサイキックとしての資質を開花させていく中で、最も大切なことは「純粋性」である。
サイキックになることそのものは、誰にでも可能である。
だが、「裏覚醒によるサイキック」にならぬよう、自らの波動を常に見つめ、愛に基づいた意識で歩むことが求められる。
それが、真なるサイキックへの道であり、7次元の扉が静かに開かれる鍵となる。
まとめ
サイキックとは、基本的に君たち人間が4次元以上へと上昇していくことで使用可能となる、進化した5感――すなわち超感覚――を扱う能力、あるいはそのような状態を指すものである。
この「サイキック」という言葉の語源は、古代ギリシャに遡る。
「プシュキコス(psycheikos)」という語が由来であり、もともとは「魂」「生命」「精神」といった意味を持っていた。
これまでの日本においては、「テレパシー」や「透視能力」といった超感覚的な能力のことを「サイキック」と呼ぶことが多かった。
一方、西洋においては、そうした能力を扱うことのできる存在そのもの――すなわちそのような人間――を「サイキック」と称する傾向が強い。
いずれにせよ、4次元以上に意識を上昇させることで、誰もがこの「サイキック」な状態へと到達することが可能である。
そしてせっかくサイキックへと目覚めていくのであれば、不純なものを混じえぬ、純粋なサイキックを目指すべきである。
純粋なサイキックとは、愛を理解し、恐れや混乱、分離の波動に染まらぬ在り方である。
君たち人間がその道を選ぶならば、必ずや真なる次元上昇を果たすことができるであろう。
藍玉は君の5次元上昇を応援している。