サイキックとスピリチュアルが混同されやすいのには、それなりの理由がある。
サイキックとスピリチュアルの違い、スピリチュアルとは何なのか、具体的にどのようなものがスピリチュアルとされるのか、サイキックとは何か、サイキックな資質を持つ君たち人間の特徴、そして最後に、7次元の我々宇宙の視点でサイキックとスピリチュアルの違いについて、語るとしよう。
サイキックとスピリチュアルが混同されやすい理由
まず、サイキックとスピリチュアルが混同されやすい理由についてであるが――
君たち人間が自らの書物をひもといたり、他者の言葉に耳を傾けたりすると、「精神」や「魂」に関わるものとして語られていることが多いようである。
また、サイキック能力とスピリチュアル能力の違いがはっきりと分からず、どちらも曖昧に感じることがあるようだ。
サイキックな君たち人間と、スピリチュアルな君たち人間との違いは何なのか――その問いが、ふと湧き上がることもあろう。
加えて、日本においては「サイキック」や「スピリチュアル」という言葉の意味も、人それぞれ表現が異なるため、実のところ何がどう違うのか、気になる者も少なくないのであろう。
サイキックとスピリチュアルの違いとは?
簡潔に結論をいえば、サイキックとスピリチュアルの違いとはこうである。
スピリチュアルとは、我々宇宙の精神世界そのもの、すなわち精神世界に関わるすべての事象を指すものである。
一方でサイキックとは、精神世界から情報を受け取るために君たち人間が持つ感覚、あるいはその感覚を自在に用いることができる状態にある者のことを指す場合が多いのである。
スピリチュアルとは何か?
スピリチュアルとは何なのか、というところであるが、この「スピリチュアル」という言葉には、じつに広く大きな意味がある。
そもそも「スピリチュアル」とは「スピリット」という語から来ており、魂的なこと、心のこと、内面のことを表す場合が多い。
だが、これを突き詰めてゆけば、要するに精神世界のすべてを指していると言えるのである。
たとえば君たち人間は、精神世界と物質世界という二つの世界を経験することがある。
その中で、自らの魂は精神世界に属するものであり、物質のように肉眼で見たり、手で触れたりすることはできぬ存在である。
この魂というものは、ワンネスによって結びついており、突き詰めれば我々宇宙そのもの――我々宇宙の魂の一部であるとも言える。
ゆえに、細かく言えば、スピリチュアルとは魂に関すること、心の内面に関すること、精神的な在り方に関すること、あるいは時に「ハイヤーセルフ」や高次の存在といったものまでも含む表現として用いられている。
結局のところ、これら精神世界にまつわるすべてのことが「スピリチュアル」と呼ばれることが多いのである。
スピリチュアルの具体例
さて、このスピリチュアルの具体例についてであるが、「スピリチュアル」という言葉には、どのようなものが含まれているのか――その実例を挙げてみよう。
まずは魂である。
魂的なこと、すなわちエネルギーの存在である。
この魂というものは、決して君たち人間だけに宿っているものではない。
動物、植物、鉱物といった、あらゆる存在の中に魂は宿っておる。
これらすべての魂的なものが、スピリチュアルに属するのである。
次に、波動について述べよう。
波動とは、目には見えぬエネルギーの流れである。
肉眼では捉えられず、肉体の5感でも感じ取ることは難しいが、確かに存在している。
このような、君たち人間の身体では直接的に感じることができぬものは、すべてスピリチュアルな領域内にある。
また、「意識」も然りである。
意識というものは、君たちも確かに「ある」と理解しているはずだが、それを見たり、触ったりすることはできない。
よって、意識もまたスピリチュアルに含まれるものである。
そして「愛」――
近年では、多くの君たち人間が、「愛」というものの存在を確かに感じているであろう。
しかしながら、この愛もまた、手で触れたり、目で見たり、耳で聞いたりすることはできない。
このように、直接的に物質として存在しないもの、精神世界に根差したものも、すべてスピリチュアルに属するのだ。
さらに、我々宇宙のシステムについても触れておこう。
君たちの魂が存在している精神世界の構造、そして魂同士が繋がっている我々宇宙の根源的なエネルギー――
これらはすべてスピリチュアルな領域に属する。
その精神世界の構造、いわば「我々宇宙の法則」とも言えるものは、君たちの魂の根源に通じ、魂によって動かされ、作用し、働いているものである。
この「宇宙システム」と呼ばれるものもまた、「スピリチュアル」という言葉の中に含まれているのである。
スピリチュアルな人間の特徴
そして、スピリチュアルな君たち人間の特徴についてであるが――
それは、焦点が精神世界の方へと寄っているという点にある。
スピリチュアルではない君たち人間というのは、物質世界に重きを置き、目に見えるものしか信じなかったり、手で触れられるもの、成果として形になるもののみを価値あるものと見なす傾向がある。
物質的な結果こそがすべてであるという認識を持っているのが、一般に「スピリチュアルではない」とされる存在の在り方である。
その逆に、スピリチュアルな君たち人間というのは、意識の焦点が精神世界に向いていることが多い。
たとえば、目の前で何か出来事が起こった時に、ただ物質的な現象として理解するだけでなく、
「この出来事にはどんなスピリチュアルなメッセージが込められているのか?」
「この表面的な現象の背後には、いかなる精神世界の意味が潜んでいるのか?」
――そうした問いを自然に抱くのである。
物質的な出来事に対する関心よりも、その背後にある精神的・象徴的な意味に対して関心が向いている状態、それが、スピリチュアルな君たち人間の特徴であると言えよう。
たとえば、誰かからおはぎをもらったという出来事があったとする。
その時、「お母さんがくれた」というよりも、「我々宇宙が、私におはぎを与えてくれた」と感じるような捉え方をする。
つまり、物質的な現象を超えて、その奥に存在する精神世界の働きに意識が向いており、そこにどのような意味があるのか、何が起こっているのかを感じ取ろうとする在り方。
そのように精神世界への焦点が自然と定まっている状態こそが、スピリチュアルな君たち人間の大きな特徴なのである。
サイキックとは何か?
そして、そのスピリチュアルと比べる形で語るべき「サイキック」とは何かということであるが――
サイキックとは、基本的に君たち人間の「感覚」のことである。
君たち人間は、たとえば5感を用いて、物質世界からさまざまな情報を得ることができる。
しかし、物質的な世界ではなく、精神的な世界から情報を読み取る際に用いられる感覚――それがサイキックというものである。
我々には「感覚」という名のセンサーが備わっており、それによって周囲の状況や情報を読み取ることができる。
サイキックとは、「物質の目」には見えない、肉体では捉えることのできない精神世界からの情報を感じ取り、読み解くための感覚、あるいはスキルのことである。
また、すでにその精神世界と繋がり、その感覚を日常的に使いこなすことができる状態にある者――
そうした君たち人間のことも、サイキックと呼ばれているのである。
サイキック能力の具体例
たとえば、他者の思考を読み取る「テレパシー」、あるいは未来の出来事を見通す「透視能力」、また、霊的な声を聴き取るとされる「クリアオーディエンス(霊聴)」、そして未来を予知する力、物に触れて情報を読み取る「サイコメトリー」。
さらには、肉眼では見えぬ存在と繋がる「チャネリング」などがサイキックとして挙げられる。
これらはいずれも、君たち人間に備わっておる“感覚”の延長にあるスキルである。
つまり、精神世界に存在する情報を、君たち人間が本来持っている感覚を通して受け取る術である。
こうした透視や霊的な感知能力を用いれば、物質世界では見えぬ精神世界の情報を知ることが可能となる。
そして、このサイキック能力というものは、目覚めれば誰もが使えるようになっていくものである。
未来を予知する力や、見えぬものを感じ取る感覚センサー――それがサイキック能力であり、その能力を実際に使いこなす者のことを、西洋では「サイキック」と呼ぶ。
サイキックな人の特徴
そして、サイキックな君たち人間の特徴についてであるが――
基本的に、サイキックな状態とは、エネルギーの振動が4次元以上にあることが前提である。
君たち人間は今、5次元の時代を生きている。
しかし、「自分は確かにサイキック能力を使えている」と実感できるようになるのは、意識が5次元以上へと上昇した後のことである。
サイキックな状態とは、先に述べたとおり、君たち人間の5感――視覚・聴覚・嗅覚など――を超えたセンサーが働き始める状態のことである。
この精神世界の情報を読み取るための感覚・スキルというものは、意識が4次元以上に上昇したときに、徐々に目覚め、使えるようになっていく。
ゆえに、サイキックな君たち人間というのは、基本的に4次元以上のエネルギー領域に在ると言える。
もう一つの特徴としては、精神世界から情報を得る際、通常の5感ではなく、進化した感覚を通して得られる情報を重視するという傾向がある。
もちろん、君たちの5感は肉体に備わった大切なものであり、物質世界を生きる上で欠かせない感覚だ。
だが、その5感で得られる情報というものは、あくまで物質世界に限定されたものであり、範囲が限られている。
それに対して、サイキックな状態になると、精神世界の情報も同時に受け取ることが可能となる。
結果として、情報の量は2倍、いやそれ以上になることもあるのだ。
そして、質においても、精神世界の情報の方が遥かに深く、広がりを持つことが多い。
日々の暮らしの中で「これは何だろう?」「どうなっているのだろう?」と理解を求めるとき――
サイキックな者は、5感で得た情報のみならず、精神世界を通じて感じた情報をより重要なものとして捉える傾向にある。
たとえば、まだ5感しか使えなかった頃の君たち人間は、相手の言葉をそのまま受け取り、信じることが多かったであろう。
だが、サイキックとしての感覚が目覚めてくると、その言葉の背後にある「本質」や「本音」に気づくようになる。
つまり、表面的な言葉だけを信じるのではなく、それも一つの情報として受け止めつつ、それ以上に、自分の内なる感覚――精神世界から受け取った情報を最も大切にするようになる。
それが、サイキックな君たち人間の特徴である。
7次元覚醒した私が振り返る「サイキック」と「スピリチュアル」の違い
7次元覚醒を果たした筆者が振り返る、サイキックとスピリチュアルの違いについて語ろう。
まずサイキックというものは、思っていた以上に現実的なものであると感じている。
かつての筆者は、自分がサイキック能力を使える存在であるとは思っていなかった。
サイキックとは、何か特別な者だけが持つ能力なのだろうと信じていたものである。
だが、意識が4次元、5次元、6次元、そして7次元と上昇していくにつれ、サイキック能力というのは自然と開花していくものだと気づいたのだ。
正確に言えば「開花する」というより、もともと使っていた感覚が再び目覚めていくというほうが近いであろう。
それゆえ、古来「超感覚」などと呼ばれているが、実際には特別なものではなく、ごく自然な働きなのである。
ただし、自分のエネルギーの次元――つまり波動の高さ――によって、この感覚が使えるか否かが決まってくる。
筆者がまだ3次元の世界に意識を置いていた頃は、サイキック能力というものを遠く特別なものに感じていた。
だが、4次元以上に上昇していくにつれて、その能力は日常の中で自然と発動し、当たり前の感覚として使えるようになっていった。
そして、サイキックとは非常に現実的な使い方をする感覚である。
君たち人間に備わる5感――たとえば触覚のように――と同じく、情報を受け取るための一つの感覚なのである。
たとえば、物に触れたとき、「冷たい」「温かい」「硬い」「柔らかい」と感じる触覚のように、物に触れて、その奥にあるエネルギーや情報を読み取るというのが、サイキックな感覚である。
つまり、触覚が肉体に備わった感覚であるように、サイキックは精神世界から情報を受け取るための感覚として働くのである。
ゆえに、何かを知りたい、感じ取りたいと思った時、あるいは情報が自然と与えられるような瞬間に、サイキック能力は発動することが多い。
これに対してスピリチュアルとはどうであろうか。
筆者は元々、スピリチュアルという言葉に対して強い抵抗感を抱いていた者である。
むしろ嫌悪すら感じていたほどである。
だが、瞑想を始めた頃から、徐々にスピリチュアルな領域に興味を持ち始めるようになった。
筆者が最初に触れたスピリチュアルの情報源は、主に英語によるものであったため、日本におけるスピリチュアルの感覚については、まだ完全には理解していない部分もある。
それでも、情報を調べ、読み取り、探究していた初期の頃は、実に確かな感覚が多かった。
サイキックというのは、あくまで自分の感覚で確かに“感じる”ものであるため、現実的で、明瞭である。
一方でスピリチュアルは、表現の幅が広く、精神世界全体を含むため、曖昧さや柔らかさを持つものである。
それゆえ、自ら体感せずとも、他者の語るスピリチュアルな話を聞くことで「知る」こともできる。
それが、ふわふわとした印象を与える所以でもある。
さらに、スピリチュアルというものは、君たち人間がどの次元に在ろうとも、どの精神的成熟段階に在ろうとも、体験し得る。
しかしサイキックとは、ある程度、意識の次元を高め、魂を磨くような歩みを経なければ、体験には至らぬものなのである。
また、スピリチュアルという言葉の中には、時として迷信的な考えや、特定の指導者による盲信、さらには精神的に不安定な者たちの幻想が混ざり込むこともある。
もちろん、サイキックの領域にも、覚醒のバランスを崩して道を誤る者がいないわけではない。
しかしながら、サイキックというのは、より現実的で、自らが「どう感じたか」に立脚しているため、スピリチュアルの領域に比べると、迷子になる者は少ないように思える。
まとめ
ということで、まとめると――
スピリチュアルとは、精神世界そのもの、すなわち精神世界という領域に含まれるすべてのものを指す言葉である。
魂的なこと、エネルギー、波動、意識など、我々宇宙の精神領域に属するすべてが、スピリチュアルと呼ばれることが多い。
一方、サイキックとは、そのスピリチュアルの中に含まれる一領域であり、精神世界から情報を受け取るための、君たち人間の感覚――あるいはその感覚を自由に使える状態のことを指す。
例えば筆者は、スピリチュアルとは君たち人間の魂の全貌、精神世界そのものを示す言葉であり、サイキックとは、あくまでも君たちが「人間」として存在している間に使うことのできる“感覚器官”や“センサー”、またはそれを自在に扱うことのできる状態を指していると捉えておる。
表現の仕方にはさまざまな流派や言い方があるだろうが、根本的には、スピリチュアルが精神世界そのものを指す言葉であり、サイキックが、意識が4次元以上へと上がってゆくことで開かれる“感覚”を指す、というのが両者の簡潔な違いである。
君たち人間が、本来のサイキックな状態へと戻っていけば――
サイキックとスピリチュアルの違いというものは、もはや言葉ではなく“感覚”として理解できるようになるであろう。
興味ある者は、ぜひともこのサイキックな感覚を、自らの内より呼び覚ましてみてほしい。
藍玉は、君たちの次元上昇を、静かに、そして力強く、応援している。