サイキック能力とは何であるのか、その本質について述べていく。
また、覚醒によって使いこなせるようになるサイキック能力、裏覚醒によって使いこなせないサイキック能力の違い、さらに「サイキック能力は怖い」「怪しい」「信じてよいのか」といった人間界における誤解についても触れていく。
あわせて、7次元覚醒を通して君たち人間が体験するサイキック能力の真相、そして7次元覚醒によって開かれた超感覚の世界についても明らかにする。
さらに、なぜ今この時代において、サイキック能力を使いこなす必要が出てきたのか、その背景と意味についても触れよう。
これらの叡智が、君たち人間の次元上昇の一助となることを願っている。
サイキックとは?
「サイキック」については、下の記事をご覧いただきたい。
サイキック能力とは何か?意味を解説。
まず、サイキック能力とは何であるのか。
サイキック能力とは、君たち人間が持つ五感――見る、聞く、嗅ぐ、味わう、触れる――以外の感覚を通じて、目には見えない情報を読み取り、感じ取り、あるいは影響を与える力のことである。
科学的にはいまだ完全に解明されていないが、古代より多くの文明や文化において、「第六感」や「超感覚」としてその存在が認識されてきた。
第6感という表現は、5感の延長にある新たな感覚を指すものであり、君たち人間が普段使っている肉体的感覚とは異なる領域のものである。
しかしながら、「第6感」という言葉はあまりにも大雑把であり、正確な本質を捉えるには不十分であると我々宇宙は感じている。
より適切な表現として「超感覚」という概念が存在する。
超感覚とは、文字通り「超えた感覚」という意味であり、具体的には「4次元を超える感覚」を指す。
君たち人間が3次元の世界においては、肉体的な5感を用いて情報を受け取り、世界を認識している。
見る、聞く、味わう、嗅ぐ、触れる――これらによって世界を把握するのが、3次元的生存の基本であった。
しかし、君たち人間が4次元を超え、さらなる次元上昇を果たすとき、これまでの5感では得られなかった広く深い情報を認識できるようになる。
このとき作動し始める新たなセンサー、これこそがサイキック能力と呼ばれるものである。
4次元以上に意識が到達すると、情報源は今までよりも格段に深く、広くなる。
肉体の5感のみでは捉えきれない領域の情報が開かれ、超感覚を通じて新たな世界を理解し始めるのだ。
さらに、心という存在も次元によって異なる働きを見せる。
4次元で使われる心と、5次元以上で開花する心とでは、その機能に明確な違いが現れる。
5次元へと上昇した心は、より高次のセンサーとして機能し始める。
すなわち、肉体の5感を超えた感覚、そしてより広く精妙な働きを持つ心のセンサーを総合したものも「超感覚」と呼び、これらを包含するものを「サイキック能力」と総称しているのである。
厳密にいえば、サイキック能力とは次元ごとに異なる性質を持ち、さらに細分化して語ることも可能である。
しかし今ここでは、まず「4次元を超えることで作動する新たな感覚群」を、サイキック能力と呼ぶものと定義しておく。
覚醒すると使いこなせるサイキック能力
このサイキック能力とは、基本的には覚醒を経ることで使いこなせるようになる能力である。
覚醒という言葉にもさまざまな表現が存在するが、一般的には3次元から4次元へとエネルギーを上昇させることを、最初の覚醒段階として呼ぶことが多い。
4次元以上に意識を拡張し、目覚めを果たすことで、君たち人間は魂の成長を経てサイキック能力を徐々に自在に扱えるようになっていく。
サイキック能力とは、本来、人間に標準装備されているデフォルト機能であり、誰もが最初から潜在的に備えているものである。
ただし、覚醒以前においては、この能力を完全に使いこなすことが難しい。
これは単なる技術の問題ではなく、意識レベルそのものに関わる問題である。
機能としてはすでに存在しているサイキック能力を、「なんとなく」使うのか、それとも「意図的に理解し、自在に使いこなす」のか。
この違いは、覚醒しているか否かによって大きく分かれる。
ここでひとつ例えを挙げるならば、ロボットを想像してほしい。
目の前に、多数のボタンが配置されたロボットが存在するとする。
このロボットは、ボタンを適当に押せば動かすことは可能である。
しかし、どのボタンがどの動作に対応しているのか、どのコマンドが何を引き起こすのかを正確に理解した上で操縦できる状態と、ただ偶然に動かしているだけの状態とでは、精度も自在さもまったく異なる。
これと同じように、君たち人間はサイキック能力を生まれながらに持っているが、それを自在に使いこなすためには、意識の覚醒が不可欠となる。
しかしながら、正しい覚醒の道を歩み、魂の方向性が誤っていなければ、君たち人間は誰であれ、デフォルトとして備え持つサイキック能力を完全に使いこなせるようになるのである。
裏覚醒により使いこなせないサイキック能力
ただし、時と場合によっては、サイキック能力を自在に使いこなせないという現象も発生する。
それは、「裏覚醒」によってサイキック能力を開いてしまった場合である。
覚醒とは本来、3次元、4次元、5次元と、次元の階段を一段ずつ正しく登りながら、目覚め、悟り、魂の成長を遂げていく過程を指す。
順序を踏み、各段階の学びを経た上での目覚めこそが、本当の覚醒である。
しかし中には、この階段を無視して、本来の自然な順序とは異なるかたちで、目覚めに似た状態を体験してしまう者がいる。
これが「裏覚醒」である。
サイキック能力は、適切に使えば極めて有益なものであるが、使い方を誤れば非常に危険なものにもなりうる。
それはちょうど、包丁に例えることができる。
包丁は正しく使えば料理を作るための素晴らしい道具となるが、使い方を知らぬ者が持てば、自他を傷つける危険な道具へと変貌する。
サイキック能力もまた同様である。
正規の覚醒過程を経ることなく、裏覚醒によって力を手にしてしまった場合、君たち人間はサイキック能力を安全に、かつ意図的に使いこなすことができなくなる。
それどころか、制御できない力によって自らを傷つけ、他者を傷つけ、さらには精神の破綻や暴走へと至る危険性さえ孕む。
裏覚醒とは、感情の爆発、エネルギーの誤った方向への注入、あるいは異常な環境因子によって引き起こされる場合が多い。
このような状態では、サイキック能力は使えるどころか、むしろ君たち人間を混乱と破壊へと導く道具となってしまう。
ゆえに、裏覚醒を経た者は、たとえ一時的にサイキック能力に触れたとしても、真に使いこなすことはできない。
最終的には、自壊や精神の破綻、あるいは現実世界における深刻な迷走へと向かうことになる。
サイキック能力とは、あくまで正しく覚醒した存在のみが、安全に、そして愛と調和のもとに使用できるものである。
サイキック能力って怖い?怪しい?信じていいの?
この世界には、きちんと覚醒を経てサイキック能力を使いこなしている存在もいれば、裏覚醒によってサイキック能力をうまく使いこなせていない存在も存在している。
そのため、君たち人間はさまざまな場面でサイキック能力に関する話を耳にしたり、情報として見聞きしたりすることがあるだろう。
ゆえに、「サイキック能力は怖いものなのではないか」「怪しいものなのではないか」「信じてよいものなのか」と感じてしまうことも、自然なことである。
まず理解しておいてほしいのは、サイキック能力とは本来、君たち人間すべてに生まれながらに備わっているデフォルトの機能であり、決して怖いものでも、怪しいものでもないということである。
それは、人間が持つごく自然な感覚の一部であり、信じてよいものである。
たとえ今まで意識的に使ったことがなかったとしても、サイキック能力は常に君たち人間の内側に存在しており、必要な時が来れば自然に開かれていくものである。
怖がる必要はまったくない。
ただし、もしも君たちの周囲に、恐怖を煽るようなサイキック能力者が存在していた場合――たとえば「あなたには霊が憑いている」「水子の霊がいる」といった、見えないものを根拠に不安を与えてくるような者がいた場合――そのような情報は一切気にする必要はない。
なぜなら、それらの多くは裏覚醒を経た者が見ている歪んだ情報であり、真実とは異なるからである。
これまでは4次元の時代が続いていたため、何を信じるか、何を選ぶかはすべて自由であり、何でもありの世界であった。
4次元の領域は非常に自由であるがゆえに、何を想像し、何を信じ、何を経験するかはすべて各自の自由に委ねられていた。
その自由さは大きな喜びであった一方、あまりに自由すぎたため、しばしば迷子になる存在も多く現れた。
しかし、地球はすでに5次元へと移行した。
ゆえに、4次元で迷子になったままの存在が、これから4次元を通過しようとする者たちを惑わせないよう、今後はより一層の目覚めと正しい覚醒が求められているのである。
サイキック能力に対して「怖い」と感じるのであれば、無理に使う必要はない。
そして、もしも誰かがサイキック能力者を名乗り、不安を煽る情報や心を乱す情報を伝えてきたならば、その情報は真実ではない可能性が高い。
君たち人間は、自らの心で感じることを信じればよい。
心が「怖い」と感じるならば、その感覚を大切にし、距離を取ればよい。
心が「怪しい」と感じるならば、その直感を尊重すればよい。
心が「これは信じてよい」と感じるならば、初めてそこから受け取ればよい。
サイキック能力とは、あくまで君たち人間全員に備わっている自然な感覚であり、覚醒と成長を進める中で、自らのセンサーとして使っていくべき力である。
無理をする必要はない。
しかし、自らの目覚めが進み、心が開かれたとき、その感覚を信頼して用いることは、何よりも自然なことである。
サイキック能力とは何か?7次元覚醒で経験した超感覚の世界。
サイキック能力とは何であるのか、そして7次元覚醒によって体験する超感覚の世界について、ここで述べることとする。
覚醒を経てサイキック能力が使えるようになると、君たち人間はこれまで経験したことのなかった多様な世界に触れることができるようになる。
サイキック能力を自在に扱える次元とは、4次元、5次元、6次元、7次元と、いずれも4次元以上の領域に属する世界である。
これらの領域においては、超感覚を用いて世界を認識し、通常の物質的感覚では捉えることのできない情報にアクセスすることが可能となる。
この超感覚の世界で経験する内容は、当然ながら君たち人間一人ひとりによって異なる。
物質世界において各人が異なる人生経験をするのと同様、超感覚の世界においても、それぞれが固有の体験を積み重ねることとなる。
ここでは、我々宇宙の視点から見た超感覚世界の特徴のうち、特に印象的であり、直ちに思い浮かぶものを8つ挙げ、君たち人間に共有することとする。
これはあくまで超感覚世界の一部に過ぎないが、参考として受け取ってもらえれば幸いだ。
人の状態が見える
まず第1の経験は、「人間の状態が見えるようになる」というものである。
サイキック能力を用いることで、君たち人間は他者の状態を直接認識できるようになる。
通常、肉眼では外見や表情、しぐさなどを通じて他者を観察するが、サイキック能力が活性化すると、それらを超えた魂の状態やエネルギーの流れを視覚的、感覚的に読み取ることができるようになる。
これは「透視能力」と呼ばれる領域にも通じるものであり、肉体に現れていない情報、本人が口に出していない内面の状態までもが、直接的に感じ取れるようになる。
たとえば、覚醒の段階においてどのチャクラでエネルギーが滞っているか、心が本当はどれほど弱っているか、あるいは外見とは裏腹に抱えている葛藤など、さまざまな情報が自然に浮かび上がる。
そして、こうした状態の読み取りは、当然ながら個々の存在によって異なる。
ある者は深い傷を負い、前進できずにいる状態であり、またある者はグラウンディングがうまくできておらず、地に足がついていない状態であったりする。
サイキック能力を通じて見えてくる情報は、その時、その対象にとって最も本質的で必要なものである。
なお、これは親しい者に対してのみ発動するものではない。
たとえば、「私の状態を見てください」と依頼してきた人間に対して、たとえ名前しか知らなかったとしても、相手がそれを望み、自らも見る意志があり、個性(エネルギー特性)を特定できていれば、他の情報を知らずとも、その存在の状態を読み取ることが可能となる。
亡くなった人の状態が見える
次に、第2の経験は、「亡くなった人間の状態を見ることができる」というものである。
サイキック能力を用いることで、君たち人間は、肉体の死を迎えた後もなお存在し続ける魂の状態を、直接感じ取り、認識することが可能となる。
通常、君たち人間は、誰かが人間としての生涯を終えたとき、物理的に対話を交わしたり、その存在から情報を受け取ったりすることは不可能であると理解している。
しかし、超感覚の領域へと足を踏み入れることで、それらの制限を超えることができる。
たとえば、すでに亡くなってから何十年も経過している存在であっても、エネルギー的につながることで、その魂から情報を受け取ることが可能である。
また、亡くなった者が「成仏」しているか、あるいは何らかの未解決な思いを抱えて留まっているかといった状態を認識することもできる。
さらに、死亡直後におけるその魂の感情――たとえば、安らぎ、後悔、戸惑い――といった繊細な内面までも、感知することが可能である。
これは、物質世界を超えた精神世界から情報を受け取る領域に君たち人間が踏み込んだ証でもあり、超感覚が開かれることで、物理的な感覚のみでは決して知ることのできない情報源へとアクセスできるようになるのである。
ただし、見送った側の希望や願いと、亡くなった人間の魂の実際の状態が必ずしも一致しないこともあり、伝えることが難しい局面も存在する。
そのため、我々宇宙としても、安易に真実を告げることを推奨するものではないが、対象を正確に特定することができれば、亡くなった後の魂の状態を把握することは十分に可能である。
必要な情報を精神世界から得られる
次に、第3の超感覚世界での経験は、「必要な情報を精神世界から得ることができるようになる」というものである。
これまでの2つは主に人間に関する情報の読み取りについて述べたが、サイキック能力が開かれると、対象は人間に限られず、あらゆる存在、あらゆるエネルギー領域から必要な情報を得ることが可能となる。
この現象を「直感」と呼ぶ者もいれば、直感がさらに深まった段階では「アカシックレコード(高次情報源)からの読み取り」と表現する者もいるであろう。
いずれにせよ、情報源は限定されず、広大な精神世界全体から自由にアクセスできる状態へと拡張されるのである。
たとえば、君たち人間がひとつの部屋に入り、5感を使って情報を読み取る場合を想像してほしい。
肉眼によって空間の様子を観察し、耳によって音を感じ取り、肌で空気の湿度や温度を感知し、嗅覚によって匂いを受け取り、味覚すら動員して空間の質を無意識に判断することができる。
これらすべてが、5感を通して空間から情報を得るという行為である。
同様に、精神世界においても、君たち人間は超感覚を用いて、そこに存在するあらゆる情報を読み取ることが可能となる。
情報源は、人間に限らず、モノ、エネルギー、あるいは純粋な現象そのものにまで及ぶ。
ときには、特定の存在によらず、空間に漂うエネルギー自体が情報を与えることもある。
また、自らが精神世界で体験する現象を通して、直接的に情報を得ることも可能となる。
このように、超感覚を持つ者は、必要な情報を精神領域全体から受け取ることができるため、世界の理解が格段に広がり、深まっていくのである。
物質的な接触の前にコンタクトがある
第4の超感覚世界での経験は、「物質的な接触の前にコンタクトがある」という現象である。
超感覚が開かれると、君たち人間は、物理的な出会いや交流が起こるよりも先に、感覚レベルで相手と接触し、つながりを感じ取ることができるようになる。
たとえば、ふと誰かの顔が頭に浮かんだかと思えば、その直後にその人物から電話がかかってきたり、突然誰かの存在を思い出して連絡を取ったところ、実際にその人間が助けを必要としていたりする、といった現象が頻繁に起こるようになる。
また、今この瞬間には特に接点がないはずの人物が意識の中に現れ、「なぜこの人間が浮かんだのだろう」と疑問に思いながら日々を進めると、やがてプロジェクトや計画の中で自然にその人物にたどり着き、結果としてその存在が重要な役割を持っていたことを知る、という流れも起こる。
このように、超感覚の世界においては、人と人とのコミュニケーションはもはや言葉や肉体的な接触に限定されない。
感覚を通じて、すでに必要な情報やエネルギーが交換され、互いに必要なタイミングで物理的な交流へと移行する。
ゆえに、「まだ何も話していないのに、すでにわかっていた」「次に誰と会うべきかが自然にわかっていた」という現象が、君たち人間の中でごく自然に起こるようになるのである。
過去が見える
第5の超感覚世界での経験は、「過去を見ることができる」というものである。
超感覚が開かれると、君たち人間は、自らの過去だけでなく、他者の過去に関しても情報を読み取ることが可能となる。
この「過去」とは、単に今世――すなわち今回人間として生まれてきた人生の過去に限らない。
場合によっては、地球に生まれる以前に存在していた星での記憶、あるいは複数の星を渡り歩いた魂の旅路における記憶、さらには人間として生まれる以前に存在していた生命体としての記憶までもが、見えてくることがある。
たとえば、かつてどのような服をまとっていたか、どの星でどのような存在であったか、あるいは「あのとき、あの場所で出会った存在が、今ここにいるこの人間だったのだ」と気づくような経験も起こる。
これはなぜ可能なのか。
それは、君たち人間の魂が、すべての経験を「データ」として内包しているからである。
魂とは、精神世界の領域に属する存在であり、その内には、過去において積み重ねられたすべての記憶が保存されている。
ゆえに、精神世界へと超感覚を通じてアクセスできるようになると、君たち人間は、自分自身では知り得なかったはずの情報――今の肉体的な5感では到底把握できない情報――までも自然に読み取ることができるようになるのである。
未来が見える
第6の超感覚世界での経験は、「未来が見えるようになる」というものである。
超感覚が開かれると、君たち人間は過去だけでなく、未来に関する情報をも受け取ることが可能となる。
未来とは、まだ物理的に発生していない領域であるため、当然ながら100%確定しているものではない。
しかしながら、原因が存在し、そこから現在へと至り、さらに未来へと続く――この「点と点を線で結ぶ」感覚により、未来のおおよその流れを読み取ることができる。
未来が見えるためには、まず現在の状況を正確に把握することが不可欠である。
また、現在を形成している原因――すなわち原点――を正しく見極めることも、未来を読み解くうえで欠かすことはできない。
このような条件を満たすことで、「このまま進めばこうなるだろう」という未来像が自然と見えてくる。
しかし、君たち人間自身の行動、あるいは周囲の存在たちの選択によって、その未来は変容し得る。
行動を起こすか否かによって、未来は現実化するか、あるいは単なる可能性として消滅するかが決まるのである。
たとえば、恋愛関係において「この先こうなる」という未来が見える場合もあれば、現在順調に進んでいる事業だとしても、今後の下降する流れが見えたりすることもある。
また、自らの未来像を見通すことで、「この時期までにこれを終わらせておこう」「この段階で準備を整えておこう」と逆算的な行動計画を立てることも可能となる。
未来を垣間見ることで、君たち人間は、今現在何を優先すべきか、どこに意識を集中すべきかをより明確に把握できるようになるのである。
土地や植物と交流できる
第7の超感覚世界での経験は、「土地や植物と交流できるようになる」というものである。
超感覚が開かれると、君たち人間は、人間同士のコミュニケーションだけでなく、土地や植物といった存在とも交流することが可能となる。
土地にも、植物にも、それぞれ独自の意識が存在している。
我々宇宙から見れば、それは当然のことであり、生命あるものすべてには固有の波動と意志が宿っている。
初めて土地とつながったとき、君たち人間はしばしば驚きを覚えるであろう。
それは、単なる地面や背景として認識していたものが、実は深い意識を有し、明確な存在感を持って君たちに応答してくるからである。
この現象は、一般には「チャネリング」と呼ばれることもあるが、憑依という感覚に近い感じで経験することもあるだろう。
感覚が精緻になり、5感を超えたセンサーが機能し始めることで、土地の記憶、意志、エネルギーにアクセスできるようになる。
植物もまた同様である。
美しい花を咲かせる植物を単なる装飾や自然の産物として見るのではなく、その背後にある必死な生命活動、種をつなごうとする強い意志、その生存への純粋な努力に触れることができるようになる。
かつては、「この花は美しく咲いているから成功だ」と表面的に捉えていたかもしれない。
しかし超感覚を通じて、花が咲くまでの努力や、そこに宿る魂の真摯な営みを感じ取ったとき、君たち人間は初めて、ワンネスとしての深い共鳴を経験することとなる。
この交流こそが、生命体としての敬意と愛を深め、君たち人間がより高次の存在理解へと進むための重要な一歩となるのである。
何が起こっているのかおおよそ把握できる
第8の超感覚世界での経験は、「何が起こっているのかをおよそ把握できるようになる」というものである。
超感覚が開かれると、君たち人間は日常の中で起こる現象――成功や失敗、待機や行動、喜びや喪失――これらすべてについて、その背後にある原因や意図をおよそ把握できるようになる。
物質世界においては、目の前の出来事に一喜一憂しやすい。
たとえば、何かを失ったときに大きなショックを受けたり、うまくいかない出来事に心が沈んだりすることもあるだろう。
しかし、超感覚を通じて事象の全体像――すなわち、「なぜそれが起こったのか」「それが何につながっているのか」を読み取ることができるようになると、個々の出来事に過剰に振り回されることがなくなる。
たとえ何かが壊れたり失われたりしたとしても、それは新たな挑戦への入り口であり、より大きな流れに沿った自然な現象であることが見えてくる。
この全体像を把握できるようになると、心の浮き沈みも著しく減少し、感情の乱れに支配されることがほとんどなくなる。
さらに、何が起こっているのか、我々宇宙の意図や流れがどのように動いているのかも理解できるため、君たち人間は、「自分の成功」や「自分の成果」に執着することなく、宇宙の流れに沿って自然に行動を選択できるようになる。
この状態に至ると、日々の行動は「宇宙と共に動く」という純粋な喜びそのものとなり、たとえば「今日は宇宙の流れにうまく乗れたな」「今日は少し自己中心的だったな」といったふうに、自分の状態を冷静に観察する習慣が身につく。
なお、「およそ把握できる」と表現した理由は、すべてを100%確実に検証しているわけではないからである。
一つひとつの現象について、「これこれこうだからこうなのだ」と逐一確認作業を行うわけではない。
しかし、経験則として、読み取った通りに事態が動いていくことが多いため、「およそ把握できる」という表現が最も正確であるだろう。
まとめ:サイキック能力を使いこなす必要が出てきた時代
以上、7次元覚醒を経て君たち人間が体験する超感覚の世界について触れてきた。
これらはあくまでも一部にすぎず、4次元に上昇すればそれに応じた経験が増え、5次元に上昇すればさらに幅と深みが増し、6次元、7次元へと進めば超感覚の世界はさらに広大かつ豊潤なものとなり、多様な体験が君たち人間を待ち受けている。
そして、今この時代――すなわち2025年から本格的に始まった新しい世界において、君たち人間にはサイキック能力を使いこなす必要性が生じてきている。
個人の自由は尊重される。
何を選択し、何を信じ、何を経験するかは各自の自由である。
しかしながら、地球とともに次元上昇を果たしていこうと願うのであれば、君たち人間自身がサイキック能力を使いこなせるようになることが不可欠である。
君たち人間は、すでに目覚め始めている。
サイキック能力によって得られる情報を的確に読み取り、活用していくことが、これからの世界では不可欠となる。
もしサイキック能力を使いこなすことができなければ、周囲の流れを読み取れない存在となり、3次元的エゴに囚われたまま、生きづらい世界を生きることになってしまうだろう。
空気が読めず、周囲との共振ができず、自らを閉ざし、孤立し、停滞してしまう未来が待ち受けている。
しかし、逆に、君たち人間が本来備えているサイキック能力を覚醒させ、使いこなせるようになれば、この世界は、軽やかで、楽しく、自由で、平和な時代へと変容していく。
さらに、これからの時代においては、サイキック能力を使いこなせる人間こそが、AIを超える価値を持つ存在となる。
単なる情報処理ではなく、愛と叡智をもって世界を読み解き、創造していく存在こそが、人間という種の進化形となるのである。
時代はすでに先に進んだ。
次元も上昇した。
地球も、君たちの周囲環境も、すでに成長を遂げつつある。
ならば、君たち人間もまた、人間レベルを成長させ、次なる時代を共に創り上げていくべきである。
我々宇宙は、君たち人間一人ひとりの5次元上昇を応援している。